架橋戦車考察

◆概要
架橋戦車(かきょうせんしゃ)とは、橋梁を運搬する装甲化された全装軌車両を示す分類となる。

第一次大戦にて定義された現代の"戦車"は、塹壕を乗り越えて進撃し装甲と火力により敵陣地を制圧することを目的に作られた兵器である。
この目的を達するため、開発された当初より一貫して不整地踏破能力の高い装軌式の駆動装置、強靭な装甲、そして火力が付与された。 その後の歴史において有効性が実証され広く採用されるに至ったが、 装軌・装甲・火力を乗せた車体の重量は短期間の間にそれまで想定されていなかった域に達し、 既存の橋梁ではその重量を支えることができず、渡河時に橋梁が崩壊するなどのインフラ面での問題が発生した。
また、従来の歩兵向け防御施設では食い止めることの出来ない戦車に対して、対戦車塹壕などの障害物が新たに考案されことにより、 今度は戦車側にこれらを乗り越える対抗策が必要とされた。

この問題に対処するため、機甲部隊に随伴して戦車用の橋梁を運び、障害に出会った際に迅速に橋梁を設置する車両として 架橋戦車が開発されることとなった。

戦車の重量で橋梁が崩壊し、
転落したIII号戦車
脱輪して窪地の泥濘に
はまり込んだIII号戦車
橋梁から脱輪したIII号戦車 橋梁が崩壊して脱輪したIV号戦車



◆歴史
架橋戦車の歴史は古く、世界最初の戦車であるイギリスのMk.I戦車を改造した架橋戦車が存在したと言われている。

第二次世界大戦中のドイツ軍においても比較的早い時期から研究が進められており、1938年頃にI号・II号戦車の車体を利用した試作を経た後、 1940年にはIV号戦車の車体を使用したモデルが生産されるが、これを最後に開発が打ち切られた。
この開発の打ち切りは西方戦役(フランス・ベネルクス三国との戦争)の戦訓に基づいた判断とされていることから、 ドイツにおける架橋戦車の開発は要塞に設置された対戦車塹壕や障壁を乗り越えるための機材として研究されていたと思われる。 というのは、西方戦役において要塞は電撃戦や空挺作戦により無力化されてしまい、第一次大戦の塹壕戦の様に正面から攻略する必要が薄れてしまったからである。
ドイツ軍は西方戦役が始まる前に様々な要塞攻略兵器(ディッカーマックス等)を開発していたが、西方戦役の終了と時期を同じくしてこれらの兵器は開発を停止するか、 別用途への転用が図られている。このことから、架橋戦車も同様の運命を辿ったと推測される。

現在においては主力戦車や1世代前の戦車をベースに橋梁装置を設置した架橋戦車を各国が開発・装備しており、 この種の車両の必要性は広く認知されている。

陸上自衛隊 91式戦車橋
(74式戦車の派生型)


塹壕への橋梁の敷設 複数の橋梁をつなぎ合わせる 構築された橋梁を使った渡河 橋梁による障害の超壕



◆架橋方式
架橋の方法論としては、伸縮式の橋梁を伸ばして対岸へ渡す方式(スライド式)、折りたたまれた橋梁を展開して対岸へ渡す方式(シザース式)、 複数の橋梁をつなげる方式(カンチレバー式)がある。
架橋戦車により運搬された橋梁は、架橋戦車から切り離されて橋梁として単体で使用されるケースと、橋梁戦車自体を窪地に落としこんで、車体を橋脚として使用するケースが見られる。 後者の場合、架橋戦車の駆動装置には架橋戦車本体・橋脚・橋梁を通過する車両の重量が負担としてかかることとなる。


以下、ドイツ軍にて開発された架橋戦車の変遷を見てゆく。


I号戦車 A型


最初に開発された架橋戦車はI号戦車A型を使用したモデルとなる。
詳しい構造や生産数に関する情報は無いため写真から読み取れる情報が全てとなる。装備している橋梁は折りたたみ式のシザーズ方式となっており、車体そのものを橋脚とする構造となっている。

I号戦車 B型


こちらはI号戦車B型の車体を使用した架橋戦車。
橋梁の支持架はA型より強化されていると見られ、後に製作されたII号戦車C型を使用した架橋戦車の橋梁と類似していることから、A型の試作結果を反映させた結果であると思われる。

II号戦車 b型



これはII号戦車b型を使用した試作車。
このタイプはマギルス社にて制作され、軸回転式架橋装置を装備した試作車両とされている。 砲塔は完全に撤去されてしまっており、I号架橋戦車と比べて大型の橋梁が装備されている。
II号戦車b型自体が25輌のみ生産された試作車であったことから、架橋戦車の試作も少数に留まった様で、一説では4輌がこのタイプに改造されたとされている。 また、一部書籍ではII号架橋戦車はb型で4輌のみ作られたとされているが、以降のC型・D型の写真もあることから、これは事実と異なると思われる。

このタイプの架橋戦車は実用性に問題があった様で、後にI号架橋戦車にて採用された2分割のシザーズ方式の橋梁を装備した車両が生産されている。

II号戦車 c型・A型・B型・C型



II号戦車c〜C型をベースとしている架橋戦車。
元となるシャーシの区分が出来ない理由は、c型は試作型の完成形であり、後に量産されたA〜C型と外見の差が少なく見分けることができず、 A〜C型は生産時期が異なることによる分類のためこちらも見分けることができないためである。
ただし、c〜C型はフランス戦直前の1940年5月には車体前面に増加装甲が取り付ける改修が行われており、これにより改修以前と改修以後を見分けることができる。 ここに掲載した架橋戦車は全て増加装甲を取り付ける前の形状をしており、フランス戦前に開発が行われたことと整合が取れる。 (ただし、フランス戦への参加のために改修が行われた可能性を否定するものではない)
架橋装置はI号架橋戦車に装備されたシザーズ方式の橋梁と類似する形状をしているが、上2枚の写真と一番下の写真とでは支柱の形状が異なるように見受けられる。 上2枚に見られる形状は、後述のD型の架橋戦車に搭載された装置と類似しているのに対し、最後の1枚はI号戦車に搭載された形状と類似している。

記録によると、1940年のフランス・ベルギーにて行動した第七戦車師団の機甲工兵が4輌の本車を使用したとされている。

II号戦車 D型


Ausf.D1 in September 1939.
こちらは足回りからII号戦車D型もしくはE型を使用した架橋戦車。
II号戦車D型は快速戦車を目指して開発が進められたが、求められた性能が達成できず失敗作となり、車体は回収されて火炎放射戦車・対戦車自走砲に改装された。 改修された内の1つが架橋戦車タイプであった様だが、非常に希少な車両であった様で、存在に触れている資料は非常に少ない。
NUTS & BOLTS Vol24にて僅か3ページではあるが取り上げられており、同書によるとD型の改修において最初に着手されたのが架橋戦車への改修であったそうである。 D/E型の生産数は43輌なのだが、火炎放射戦車への改修も43輌とされているため、架橋戦車に改修された事実と矛盾する。 多くのD/E型は、戦車型 → 火炎放射型 → 対戦車自走砲型と3段階の改修を受けており、 これを考慮すると、戦車型 → 架橋型 → 火炎放射型と3段階で改修された可能性なども考えられる。
また、同書によると橋梁ユニットを設置するためには、後進して所定位置まで移動する必要があったことが記されていた。 戦車は敵と向き合う前面装甲が最も強固に作られていることを考えると、この構造は甚だ不合理であると思われる。 (後に開発されたIV号戦車ベースの架橋戦車では、この問題は解消されている)

IV号戦車


大戦中に製作された最後の架橋戦車はIV号戦車をベースとしたものとなる。
I号・II号戦車を使用した架橋戦車では車体が小さく非力であることから運搬できる橋梁に限界があり、このことから当時実用化されていた中で最も車体が大きいIV号戦車を用いて架橋戦車が試作されることになった。

初めに軟鋼製のIV戦車の試作車を用いた試験が行われ、実用性が確認されたことから9m橋梁を運搬できる架橋戦車50両の発注されることとなった。
生産車は1939年8月にC型4輌、9月から翌年4月までにD型16輌が改装され、更に1940年9月までに12輌が架橋戦車として完成したとされている。 しかし、フランス戦の戦訓から架橋戦車の製造は中止され、改装されたIV号戦車の一部は戦車型に再改修された。

生産された架橋戦車は1戦車師団につき架橋小隊(架橋戦車4輌)が配備され、1940年中に第1、第2、第3、第5、第10戦車師団に配備された。



IV号架橋戦車は2種類のモデルが生産された。
写真はクルップ社が生産したクレーンによる吊下げ式の橋梁を装備しているタイプである。 これは車体上に搭載した橋梁をクレーンにより吊り下げ、目的の位置に設置する機構となっている。


こちらはマギルス社が生産した、もう一種類のIV号架橋戦車。
これは車体上のレールの上に設置された橋梁を目的位置に向けてスライドさせ、対岸まで渡す構造となっている。 橋梁自体は伸縮式というわけではないが、分類的にはスライド式と考えてよいかと思われる。

なお、クルップ / マギルスの違いを見分ける際には、橋梁ユニットの側面に空いている穴の形を見るのが早いように思われる。 マルギス社製は全て正円形となっているのに対し、クルップ社製は両端の数個が楕円形をしている。



こちらも架橋戦車ではあるが車両のための橋梁ではなく、歩兵用の突撃橋を搭載した車両である。
マギルス社により1939年8月よりIV号戦車C型車体を用いて2輌が生産されたとの記録が残っている。

◆参考資料
ENCYCROPEDIA OF GERMAN TANKS OF WORLD WAR TOW(ジャーマンタンクス)
NUTS & BOLTS Vol24 Pz.kpfw. II Ausf.D/E
Wikipedia - 架橋戦車


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