役政公園への行き方

役政公園は台湾北部にある基隆市にあります。
台北市から基隆市までは台湾鉄道が運行しており、基隆市は台北から北上する台湾鉄道の終点となります。 列車は急行(自強号)か各駅停車(区間車)を選ぶことができますが、各駅停車でも1時間程度で着きますので、特別急ぐ理由が無ければ特急を選ぶ必要はありません。

基隆駅はプラットフォームが二つしかない小ぢんまりとした地方都市の駅という雰囲気です。

港湾と観光の都市であるため、駅前にはタクシーが列を成して客を待っています。
役政公園は中正公園という山一つを丸々公園にした地域の内部にあります。市内バスで行くことも出来ますが、中正公園の入口から役政公園まではかなりの距離(しかも上り坂)がありますので、駅前でタクシーを捕まえる方法がお勧めです。
観光名所が点在する都市であるためタクシーの運転手も手馴れており、行きたい場所・順番・帰りの時間を指示すれば順番に回ってくれます。
(事前に周りたい場所をポイントで押さえておくことが重要です)

中正公園の入口には立派な牌楼がありますが、自動車の乗り入れ道は牌楼を過ぎた先にあります。 山道を登ってゆくと、駆逐艦のマストが見え、次に役政公園に到着します。兵器の展示スペースは分散しており、役政公園〜228記念公園までの間に道に沿って点在しています。

役政公園の最も目立つ位置にはM48A3が展示されています。
M48はアメリカが開発した主力戦車で、「パットン」の通称が与えられた3代目の戦車となります。
中華民国はM48A1/A2をアメリカより輸入し、1980年代にA3に改修、更に1990年代には台湾独自のMBT CM11(M48H)に準じた近代化改修を行い、CM12として今尚現役だそうです。(2011年現在)
M48の輸入数は約300両、内CM12に改修された車両は約250両とされているため、展示されていた車両は改修されずにA3で打ち止めとなった約50両の内の1両と思われます。

同じく役政公園内に設置されているMk.38 2連装砲。
ペンキを塗り直した直後なのか、脚立とペンキの空き缶が放置されていました。また、背面のハッチが開いていたので中をのぞく事もできました。

こちらも役政公園にある上陸用装軌車のLVTP-5です。
中華民国は台湾島のみならず、大陸沿岸の金門島なども勢力圏として押さえているため、兵員輸送や侵攻を受けた場合の逆上陸用としてこの手の車両も配備しているそうです。LVPT-5は既に退役した車両で、現在は後継機種が配備されています。

展示品の中で最も古いアームストロング砲。
基隆は港湾都市として台湾への入口として機能していたことから、基隆港の周辺には砲台跡が点在しています。この砲もそれら台場に据えられていた沿岸砲の一つで、使用されていた時期は清仏戦争の頃(1884年〜)か台湾が日本へ割譲された頃(1895〜)の物と思われます。(製造年月は1887年とされている)
近くで見ると、砲には弾の貫通痕や砲弾に抉られた跡がありました。

各展示物には金属製の解説パネルが添えられていました。
さほど詳しく書かれているわけではないので、読めなくても漢字と数字からなんとなく内容が分かるという程度の物でした。

役政公園から228記念公園まで向かう中間地点に駆逐艦「貴陽」のメインマスト・スクリュー・錨が展示されています。
駆逐艦「貴陽」(Kwei Yang)は、元は1941年に就役したアメリカ海軍フレッチャー級駆逐艦 トワイニング(USS Twining DD540)で、1971年に中華民国に売却され、1999年に退役した艦艇です。

更に228記念公園に向かって進むとMIM-14 ナイキ・ハーキュリーズが展示されています。
MIM-14は1960年代に開発・配備された長距離防空ミサイルで、戦略爆撃機の撃墜のみならず、弾道弾の迎撃も視野に入れた地対空ミサイルです。
配備や顛末についての情報が見つからなかったのですが、後継の「天弓2型」が1997年頃より実戦配備されていることからMIM-14は既に退役したものと思われます。

最後の展示物は戦闘機 F-104Gです。
F-104は1952年に初飛行した第二世代ジェット戦闘機で、中華民国は1960年代に主に中古を輸入して300機程度を配備しましたが、1997年には全て退役しました。
展示されていたG型は対地攻撃能力を強化した戦闘爆撃機型で、中華民国ではG型以外にも様々なモデルを配備していたそうです。

展示物の横にはこの様な警告が出ています。

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