今日は先の大戦における我が国の敗戦の日です。

 

この69年間、先人たちの努力と様々な幸運に恵まれ、我が国は国家間の戦争はもとより局地戦に巻き込まれることもなく過ごしてきました。

私は中堅と呼ばれる世代となりますが、この世代でも両親の代は物心付く前に敗戦を迎えていますので、国家間の総力戦を経験していない2世代目ということになります。(戦後の混乱期の経験をもって戦争を体験したと称する人達が居ますが、これは敗戦の結果を経験したのであり、根本的に勘違いしていると思います)

 

大戦終結後、核戦力による相互確証破壊が確立されたことにより大国間の直接衝突が抑止される冷戦期となりましたが、その裏側では植民地からの独立戦争と重なる形で大国の代理戦争が続きました。

この冷戦期を通して我が国は地理的な条件により最前線となることは避けられましたが、その条件故に最前線直後の兵站としての役割を担うこととなりました。兵站として機能するために経済的な制約は緩和されましたが、政治・軍事の独自性はを封じられた上で、その実態を覆い隠すかのように幾重にも重ねられた情報統制が施されてきました。

この情報統制されていることすら覆い隠すような情報統制により、我々は先の戦争を総括する機会を奪われ、結果として「敗戦の日」をして「終戦記念日」と称する欺瞞に満ちた言い訳が大手を振って流布される状況が続いています。

 

しかし、この情報統制は一方向から情報を出力する新聞・テレビ・ラジオといった媒体を統制する仕組みであったことから、西暦2000年代に入り双方向性と自由な配信が行えるネットの言論空間が広がったことにより、崩壊しつつあることを感じます。これは、情報統制の要であった業界団体を介さずに書籍・映像・音声といった伝達手段を行使することが可能となったことによる影響が大きいと推察します。(この技術を我が国に導入した技術者達、そしてそれを後押しした政治家達・官僚達の陰からの努力を忘れてはいけません)

これにより、20年前では不可能であった大戦に至る経緯と大戦の実相、そして大戦の結果が今現在にどのような影響を及ぼしているのかを一般人が知ることができる状況となってきました。

しかしながら、先の大戦の結果からの受益者(これは、国家・個人を問わず沢山居ます)が居る限り、先の大戦は正確な意味で研究対象・歴史とすることがはできる日は来ないでしょう。(故に、今の常識で歴史を固定化することは厳に慎むべきと考えます)

 

我々の現状をこのように認識した上で、先の大戦における敗戦を総括して行くためにも8月15日は「敗戦の日」と呼称するべきではないでしょうか。