本年も敗戦の日が巡ってきました。

東京では朝から雨が降り、大雨洪水警報が夕方まで出る程の天候でした。振替休日であったため、今年は靖国神社には行けませんでしたので明日の帰りに行こうかと考えています。

毎年8月15日の前後ではテレビ新聞において、全く教訓にならない自称戦争体験者の雑談が放映されますが、どうせ見るのであれば戦地に出向いた方のお話しを直接聞くか、戦後生まれで先の大戦に対して第三者的視点から評価している以下の様な話を聞くべきかと思います。

 

戦地に赴いた方は現地体験については一様に口が堅いという話は頻繁に耳にしますが、戦争末期に生まれた戦後世代が支配していた言論空間ではそうならざるを得なかったという側面もある様に思われます。その点からも、経験者から話を聞き広く伝える努力をされている人々の話は、戦争末期に生まれた自称戦争経験者の体験談よりも価値があるのではないでしょうか。

シンガポール陥落にまつわる話も興味深いですが、戦争末期の本土決戦論が何故出てきたのか、その背景には何があったのかという話は大変興味深い内容になっています。

 

こちらは戦争末期に生まれた自称戦争経験者(昭和20年で9歳)の話。

意外にも戦争体験の話よりは敗戦を境に言論空間がいかに狂ったか、そしてマスメディアの本性に関わる話が出てきています。

小さい頃にここまで大きな価値観の転換を求めらえたのであれば、価値観の歪みが出ても仕方が無い様に思いました。特に田原氏の「偉い人、マスメディアの発言は信用できない」という信念と、安保闘争に対する西部氏の反省が繋がっており、この世代特有の価値観を理解する上で意義のある対談であると感じました。

 


先の大戦は世界史的な観点からとらえた場合にどの様に見えるかについては、昭和20年8月15日で話を終わりにしてしまうと全く実相を見失うと思います。また、先の大戦を「太平洋戦争」とう呼ぶか「大東亜戦争」と呼ぶかにより、歴史の流れにおける位置が変わります。

太平洋戦争で考えた場合、開戦期はABCD包囲網が引かれた昭和10年頃(1937)から真珠湾攻撃が行われた昭和16年(1941)、終戦は口頭による休戦協定の合意が行われた昭和20年8月15日(1945)からサンフランシスコ講和条約が締結された昭和27年4月28日(1952)となります。

対して、大東亜戦争で考えた場合、開戦期は国際連盟において日本が提案した「人種差別撤廃提案」が廃案となった大正7年(1918)からベトナム戦争が終結した昭和50年4月30日(1975)となります。

 

大東亜戦争の観点からは、太平洋戦争は内包される数々の戦争(インドネシア独立戦争、第一次インドシナ戦争など)の一つになります。太平洋戦争は日本の敗戦で終わりましたが、大東亜戦争は果たしてどうであったのか?という点について私見を述べてみます。

まずは戦争の定義が必要になります。

戦争とは外交の一部であり、結果として相手に要求を呑ませることを目的として行われます。このため、個々の戦場で敗北をしても、最終的に要求を呑ませることが出来たのであれば戦争自体は勝利したことになります。同様により大きな意味での戦争においても、個々の戦争で敗北しても最終的に要求を呑ませることができれば、戦争自体は勝利であったということになります。

この定義から考察した場合、そもそも大東亜戦争の目的とは何であったのか?その目的の為に誰と誰が戦ったのか?という点を詳らかにする必要が出てきます。

 

大変に残念なことですが、大戦前に日本国内で発行された思想書や哲学書の多くが敗戦とともに占領軍(及びその協力者)により焚書されてしまい、どの様な思想的経緯により国際連盟において日本が「人種差別撤廃提案」を行ったのかが判然とはしません。

我が国は江戸時代末期(1800年代半ば~後半)にはアングロサクソン系の白人による植民地支配に抵抗して独立を維持していましたが、周辺国は悉く侵略され、タイ王国などの一部を除いて多くが植民地化されてしまいました。有色人種の独立国が僅かしか残らない中では、表面上は合議の体裁を保っている国際連盟等においても数の劣勢は覆し難く、打開するには有色人種国が独立して国際舞台で発言できる今日の状況を作る以外には方策が無い状況であったと推測されます。

 

先の大戦において我が国の国家目標が何であったのかについては、驚くことに今現在の時点では判然としていません。

この状態をもって、大日本帝国は目的の無い戦争を行ったと非難する人々もいますが、常識的に考えれば元首が居て議会がある国家が目的の無い戦争を始めるなどということは起こり得ないと思われます。敗戦から72年が過ぎた現在においても判然としていない(公然と公式の歴史が語られない)ということの意味を察した上で、実際に発生した事象から逆説的に考えた場合、昭和18年(1943)に行われた大東亜会議は重要なヒントになると思われます。

 

大東亜会議で採択された「大東亜共同宣言」の内容は以下の様になっています。

 

<原文>

  • 世界各國ガ各其ノ所ヲ得相倚リ相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ
    然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス
    大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス
  • 一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス
    一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス
    一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
    一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス
    一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス

 

<現代語訳>

  • 世界各国が、民族毎に自分たちの土地を持ち、お互いにたすけあって、ともに国家として発展し、みんなで明るく楽しみをともにするためには、まず世界平和の確立がその根本です。
    けれども米英は、自国の繁栄のためには、他国や他の民族を無理矢理押さえつけ、とくに東亜諸国に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、東亜諸国の人々を奴隷するという野望をむきだしにし、ついには東亜諸国の安定そのものを覆(くつがえ)そうとしています。
    つまり、東亜諸国の戦争の原因は、そこにその本質があるのです。
    そこで東亜の各国は、手を取り合って大東亜戦争を戦い抜き、東亜諸国を米英の押さえつけから解放し、その自存自衞をまっとうするために、次の綱領にもとづいて、大東亜を建設して世界の平和の確立に寄与したいと考えます。
  • 1 東亜諸国は、協同して東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設します。
    2 東亜諸国は、相互に自主独立を尊重し、互いに助け合い、東亜諸国の親睦を確立します。
    3 東亜諸国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、東亜諸国それぞれの文化を高めあいます。
    4 東亜諸国は、互いに緊密に連携することで、それぞれの国家の経済の発展を遂げるとともに、東亜諸国の繁栄を推進します。
    5 東亜諸国は、世界各国との交流を深め、人種差別を撤廃し、互いによく文化を交流し、すすんで資源を解放して、世界の発展に貢献していきます。

 

要旨は「東亜諸国は英米による支配を脱し、相互に助け合い繁栄する世界を築く」ということになるかと思います。これを達成目標として掲げた場合、果たして大東亜戦争の結果を如何に評価すべきかという観点で考えることとなります。

大きな概念を含む数々の事象を総合的に評価する場合には、その概念を上回る包含力がある概念に取り込むことで整理する方法があります。

地政学の観点から一部で話題になっている「The Hierarchy of Strategy(邦訳:戦略の階層)」を使って考察をしてみます。

 

上記がThe Hierarchy of Strategyの概念図、これを邦訳して可視化した戦略の階層が下図となります。本図を作成した奥山氏によると、赤いラインより上が戦略、下が戦術に位置するものとの説明がなされています。

先の大東亜共同宣言の目的は、最上位の世界観に位置する概念に該当します。

第二層の政策としては各民族・地域が独立国家となる方式(連邦や合衆ではない)とすると、それを実現する手段(戦争・交渉)は第三層となります。

第四層より下は、第三層で定義した手段の実施段階における階層となりますので、大東亜戦争(第三層の手段の一つ)の事例で考えると太平洋戦争の内訳は第四層以下の概念に収斂されます。

 

大東亜戦争を「東亜人種 VS アングロ・サクソン系白人の戦い」と規定してとらえた場合、人種差別撤廃提案と太平洋戦争は白人の勝利、インドシナ戦争とインドネシア独立戦争は東亜人種の勝利となり、昭和50年4月30日を大東亜戦争の終結とした場合には最終的には東亜人種の勝利で終わったということになります。

つまり、太平洋戦争の敗北は全体から見ると一つの戦術(第四層以下)における敗北でしかなく、戦略(第三層より上)としては東亜人種の勝利であったと考えます。

 

実際には太平洋戦争の終結を境に大日本帝国の重しが取れたことで第三勢力(共産主義)との戦争(東西冷戦)が激化してしまい、東亜全体が泥沼化しました。結果として支那大陸と東南アジアの一部が第三勢力に占領されていまったため、大東亜共同宣言が目指した世界観は今現在においても道半ばという感じではあります。

しかし、2017年現在の世界には196の独立国家が樹立されており、白人国家は50~60国程度となりますので全体の比率からすると1/4までに減少しました。実際の経済・軍事・発言力には歴然たる差がありますが、少なくとも人種差別撤廃提案が行われた100年前(来年で丁度100周年ですね!)と比べると世界の様相は随分変わったと言って差し支えないでしょう。