模型店が集中する萬年商業大楼へ行きました。

台北市内の模型店は何箇所か回りましたが、このビルに入っている店が一番特色があって面白いと思います。

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今回は特に探しものがあるわけではなく、地元色が強い商品があれば買うくらいの気持ちでした。

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フロア内の店舗が幾つか入れ替わったような気もしましたが、目的の模型店は健在でした。

香港系メーカーの新製品は国内よりも早く店頭に並ぶ傾向がありますが、今回は目立った品はありませんでした。このため、今回は地元ならではのデカールを数点購入して終わりました。

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国軍歴史文物館に関する補足を幾つか。

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中華民国軍の建軍から現在までの歴史と文物を取り扱っていますので、もちろん我が国との事変についても展示があります。最初の展示室には建軍当時の大陸における外国の勢力について地図が示されています。

この地図には誤りではないまでも誇張があり、中華民国が建国した当時は清朝の崩壊に伴い全国で軍閥が割拠した状態となっていました。(そもそも、中華民国自体も軍閥の一部と解釈することができます・・・)

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1925年当時の支那軍閥勢力図(出展:Wikipeda)

中華民国は北伐により勢力を拡大しましたが、その結果は以下の地図に示された勢力範囲となります。

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北伐後(1928)の勢力図。青色が中華民国支配地、桃色は軍閥支配地(出展:Wikipedia)

軍閥は外交権を持つ政府ではなく地域を実効支配する軍事力付き有力者の様な存在で、更に上記の地図には示されない中国共産党と八路軍が跋扈する無法地帯であったと記録されています。

中華民国軍も輸入兵器に依存しており、特にドイツとは繋がりが深かったことで知られています。そのような実情を示す一端が展示物にありました。

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日本と武力紛争を行っていた時代の装備で、中華民国軍が使用したドイツの鉄兜が展示されています。これは1916年から配備されたシュタールヘルム(Stahlhelm)の一種で、形状から第一次大戦期(1916年型、1918年型)のものではなく1940年型ヘルメットに類似しています。

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続いて、イギリスの鉄兜。これはイギリスで1915年に採用されたブロディ・ヘルメット(Brodie helmet)の一種です。同じ型のものが1917年にアメリカでも採用されていますので、実際の出処は軍事支援をしていたアメリカかもしれません。

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最後に日本製の鉄兜。帝国陸軍の兵装には明るくないのですが、写真を見比べた感じでは90式鉄帽(皇紀2590年、西暦1930年採用)の様に見受けられます。

紛争相手ですので鹵獲品と思われますが、識別用に中華民国軍のマークが付けられています。

 

この展示物から分かることは、当時の中華民国軍はヘルメットすらも海外の製品に依存した軍隊であったという事実であると思います。支那における最大勢力を誇った軍隊がヘルメットすら製造できない組織であったということから、当時の情勢を推し量ることができると感じました。

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6階には過去に中華民国軍が使用した小火器類が展示されています。

非常に希少な火器や鹵獲品、さらにはどの様にして手に入れたのかも分からないような火器まで展示されています。小火器が好きな人にはたまらない展示であると同時に資料的価値も高いと思われます。

しかし、ここでも中華民国製の火器は非常に少なく、ヘルメットと同様に武器も海外調達でまかなっていたことが読み取れます。